海外薬用植物園見学会 訪問場所紹介①アールスメア花市場
アールスメア(「アールスメール」とも表記されます)の花市場は「世界の花きの都(the Flower Capital of the World)」とも言われ、総床面積99万平方メートルの世界最大の花き卸売市場です。建物としてもすべての建築物のなかで世界4番目の大きさのようです。
EU域内の生花流通の拠点であることはもちろん、EU外の国からの生花も取り扱うため、ここアールスメアで世界の花の価格が決まる、とも言われています。オランダのハブ空港・スキポールへは車で20分と国際流通にも至便で、季節の異なる世界の各地から花きが集まってきます。ここで価格をつけられた生花の8割は24時間以内に世界各地で販売されるそうです。
《オークション》
市場のオークションは月曜から金曜の朝7時から11時まで行われます。オークションはコンピュータ化されており、非常に速いスピードで大量に取引が行われていきます。ここの生花取扱量は、毎日生花1700万本以上、鉢物200万鉢以上ととても多く、世界中の美しい、珍しい花々が、巨大ワゴンに乗せられ次々と運ばれて行く様は圧巻で、世界中でもここでしか見ることができない光景です。
《アールスメアの歴史》
アールスメアの地名はAal(ウナギ)とMeer(湖)からなります。小氷河期があった頃にはヤナギとハンノキが茂る荒れ野でしたが、泥炭採掘後の穴に水が溜まり、池や湖の多い湿地帯となりました。
17〜18世紀にこれらの湖沼が干拓されました。干拓地ではイチゴなどの園芸作物が栽培され、13km離れたアムステルダムなどの都市に運ばれました。アールスメアの旗は赤、緑、黒の三色からなりますが、これはそれぞれイチゴの果肉、葉、用土の色を表しています。後にアールスメアの作物は市内のカフェでオークション(競り)にかけるようになりました。これが花市場の前身です。19世紀末からバラなどの花き温室栽培がさかんになり、現在でも市場周辺では苗の栽培が盛んです。1968年にアールスメア中央市場と東部ブルーメンストの二つの市場が合併し、アールスメア花市場となりました。
《チューリップとオランダ人》
オランダと言えばチューリップと風車ですが、トルコ原産のチューリップがオランダに伝わったのは16世紀末のことで、長い歴史がある訳ではありません。しかし世界で最もチューリップに熱狂したのはオランダ人です。
オランダでは17世紀中頃にチューリップ・バブルと呼ばれる史上初の経済バブル事件が起こりました。一球のチューリップが職人の年収の4倍となり、珍しいものになると一球が邸宅一軒と取引されたという記録もあります。高値をつけるチューリップの球根にオランダの厳しい冬を越えさせるため、手持ちの毛布をすべて使ってしまい自身が凍死する者まで現れたといいます。
オランダバロック絵画の静物画には、よくチューリップが他の生花とともに花瓶に生けられたところが描かれていますが、これは非常に高価で現実にはあり得ない(実際、開花期が異なる花が一つの絵に描かれていることが多い)光景だそうです。当時のかなり裕福な市民でも花瓶に生ける花は一度に一輪が精一杯といわれています。
近年オランダではハウス栽培の技術が発展してきました。小国でありながらこの分野では世界のリーダーです。ハウス栽培では温度を上げることは容易ですが、下げることが難しくなります。冷涼であり、かつ花を愛するオランダだからこそ、ハウス栽培の技術が発展してきたのでしょう。
現代のオランダでは4〜6月には花屋の店頭に美しくも安価なチューリップが溢れます。この北国の歴史に、オランダ人がいかに花を愛してきたかに思いが馳せる光景です。オランダには農業の知識やノウハウが蓄積されています。また国土の大部分が干拓地であるため、大きな水害と戦い続けてきました。今回の東北の被災地にも花を植えたり農業復興の手助けをしたりなど、数々の支援事業を行っています。
このような歴史があるからこそ今も各国の生花・球根生産農家や取引業者はオランダ、このアールスメアに魅せられ、取引を行っているのです。
(紹介文:荒瀬千秋)