Gardening design 樹木からの学び
植物は私たち人間より長い歴史を生きています。地球という大きな枠の中、他の生物とのかかわりをもちながら生きてきました。その歴史には私たちが想像もできない変化があったことでしょう。そんな樹木からの伝言を聴いてみましょう。
植物のチカラ
自ら動くことができない植物たち。風が吹こうが雷が鳴ろうが、逃げることができません。鳥や虫がきて、食べられても痛いとも言えない。病原菌やキノコが忍び寄ってくれば、病気にもなるし腐ってしまうこともあります。
しかし植物は、自らのチカラで生育する手段をもっています。その手段の一つが光合成。水と空気(酸素、二酸化炭素)そして光エネルギーがあれば、栄養を蓄え、芽や葉を出し、根を広げ、花を咲かせます。特に樹木は根や幹を肥らせ(肥大成長)、木部を形成させます。また枝や幹が切られても、再度芽を出すことができます(萌芽更新)。植物たちは動物にはない、生き延びていく様々なチカラをもっています。
見守ってくれている老樹「大ケヤキ」
大阪府豊能郡能勢町野間に、樹齢1000年以上といわれているケヤキがあります。そのケヤキは遠目にも存在が分かり、近づくとさらにその巨大さに圧倒されます。このケヤキは、どうして1000年も生きながらえることができたのでしょうか。そのヒントは周りを見渡すことで想像できます。
樹木がこれだけ長生きするには、水が重要です。ケヤキの周りには田んぼがあり、水が張られ、そのための水路があります。その水源は近くを流れる 川。ふんだんに水がある環境は、樹木が生育するために好条件となります。周りにはケヤキをおびやかすような樹木はなく、太陽の光もふんだんに浴びています。このような環境条件とさらに重要なのが、人とのかかわりです。このケヤキを昔からこの地域の人たちは、親しみ、崇めてきました。祠がおかれ蟻無宮境内跡として、常にお祀りされています。何より、人によって周辺の環境を変えられなかったことが長生きできた一番の要因ではないでしょうか。近隣の人にとって、毎年やってくるアオバズクやフクロウの巣作りは楽しみでもあります。樹木と人がいい関係を保っています。
街の中の社叢林(※1)「明治神宮の森」
昔から存在する森とは違い、人が何もないところからつくり上げた森があります。東京の明治神宮内苑がそれにあたり、広葉樹や針葉樹など多種多様な樹木をおりまぜ、人工でありながら自然に遷移(※2)する森をつくり上げています。当初より天然の森を参考にし、全国から集められた樹木を高、中、低木とうまく混ぜながら、50年後、100年後、150年後を見据えた設計が行われました。当初、伊勢神宮にあるようにスギを配した植栽を望む声もありましたが、水分が不足すること、公害に弱いことなどを理由に植栽しないことを納得させたという逸話も残っているようです。自然にあらがうことなく自然の声を聴きながら、樹木と一緒に成長できた素晴らしい例といえるでしょう。
現在はほとんど手を加える必要もなく、樹木だけでなく様々な生き物が暮らす樹林となり、照葉樹林(※3)の「鎮守の森」として東京のみならず日本の誇る「杜」となっています。
※1… 社叢林:神社や社殿を囲む林、森のこと。鎮守の森ともいわれる。
※2… 遷移:ある地域の植物群落が年月を経て別の群落に変わっていくこと。
※3… 照葉樹林:夏季多雨の温帯地域における常緑広葉樹林(シイ、カシなど)。
※参考文献:明治神宮ホームページより https://www.meijijingu.or.jp/midokoro/
Column 樹齢2000年の樹木からの伝言
世界一大きくなる木、北米原産のセコイアオスギ。その年輪を見ると自分の存在がなんてちっぽけなんだろうと感じます。2000年という年月をこの樹木はどんな思いで過ごしてきたのでしょうか。そしてそこに存在する人間はど のように映っていたのでしょうか。
私たちが暮らしていく中、様々なことが待ち受けています。その都度、考えたり、悩んだり、怒ったり、喜んだり、感情的になることもある人間。それが人間らしさだとは思いますが、樹木から見れば、ほんの些細なことかもしれません。
この年輪を目の前にした時、人間を中心とした考え方ではなく、もっと大きな視野で物ごとを考えるきっかけになるのは間違いありません。
生業の林「人工林」
日本では、古く奈良・平安時代の都建設から始まる建築物建設のため、近隣の森林からヒノキやスギを伐り出すという採取林業を行ってきました。その後、江戸時代にはより多くの建築材料が必要となり、本格的な育成林業が始まりました。そして第二次世界大戦後、木材の供給を行うために全国で林業が営まれるようになりましたが、最近は外国産の樹種におされ、また後進がいないなどの理由で放置される林も多くなってきています。それらの林は間伐も行われず手入れもされないため、豪雨により土砂崩壊が起きたり、下草も生えたりしないので他の生き物も育まれない林として地域のみならず、国の課題となっています。手入れされたスギ林の風景を見ると感動しますが、私たちにとって大事な「みどり」として、考えていかなければならない問題でもあります。
里山林
林業の林と同じく手入れをされ、かつ暮らしに直結していた林があります。ナラやカシ類などを伐採し、伐り出された材から作られた薪や炭は、昭和30年代の燃料革命まで重要なエネルギーでした。また林から採取された野草やキノコ、木の実なども重要な食材として、利用されてきました。伐採された木は枯れることなく、伐り株から新しい芽が出て(萌芽更新)、約20年サイクルで元の姿になり、再び活用されてきました。
このようにして住居の近くで利用されてきた林を里山林といいます。活用するために手入れされた林は、多様な植物が生育し、そこには昆虫類、爬虫類、 両生類、鳥類などが生息する豊かな林でした(生物 多様性)。現在はこれらの林も活用されなくなり、手入れされなくなって放置されているところが多くなっています。この「みどり」も遠い田舎の話ではなく、都会に住む人たちにとっても大事な問題なのです。
まとめ
大きな木、古くなった木、田舎の木、神社やお寺の木、私たちの身の周りに当たり前のように存在していた木も、いつの間にか朽ちて、倒れて、いなくなっていることがあります。自然の中では樹木たちも逆らえないことですが、そのような樹木を見る機会がありましたら、ぜひ樹木たちの声を聞いてみてください。「今まで、大変なこともあったよね」「困っていることはない?」「私たちを見守ってくれてありがとう」「これからも、よろしくお願いします」。