インドネシア伝統医ドゥクンと伝統医薬品ジャムウ
はじめに
インドネシアは、東南アジアの島嶼部の大部分を占めており、スマトラ、カリマンタン、パプア(イリアンジャヤ)などの大陸にも匹敵する大きな島からサンゴ礁の小島に至る無数の島々から成っています。気候としては、国全体が東西に長くて赤道全体の10分の1以上に及んでおり、東南部のヌサ・テンガラ地方のサバナ気候を除いてほとんどの地域が熱帯雨林気候または熱帯モンスーン気候です。一方、スマトラやジャワ島などには3,000〜4,000mの山々が連なっているなど地理的変化に富むため、その植物相は極めて多種多様でかつ非常に豊富であり広大な熱帯原生林を有しています。これらの厖大な植物資源を背景にして古くから伝統医学が発展しています。
インドネシア伝統医ドゥクンと伝統医薬品ジャムウ
インドネシア社会における医療形態は、都市部においては西洋医学による行政区分(州、県、市)に準じた公立病院や保健センターなどが存在しますが、医師が少なく2010年度で10万人当たりの医師数は10人程度にすぎず、その多くは都市部に集中しています。そのため地方ではいまだにドゥクンと呼ばれる民間医(呪術師、祈祷師も含む)によって病気の治療をはじめ、出産、魔除け、占い、予言などが行われており、今日においてもドゥクンはインドネシア人の生活に深く溶け込んでいます。ドゥクンはほとんどが世襲制で、近隣の山野に自生する薬用植物を用いてマラリアなどの熱帯病の治療や骨折などの外科治療、出産などに対応しています。
ジャワ島にはジャムウと呼ばれる伝統医薬品があります。ジャムウという言葉はジャワ語で、“植物の根や葉などから作られた薬”という意味ですが、生薬製剤を含めた植物起源の医薬品の総称であり、またインドネシアの伝統医学の代名詞にもなっています。中部ジャワにある8世紀頃の遺跡からジャムウの調製に用いる長い円筒形の石のすり鉢とすりこぎが発見されたそうです。また、ジャワ島中部のジョクジャカルタ市近郊にある世界最大の大乗仏教遺跡ボロブドゥール(780〜833年頃に建立)の仏塔にある回廊の壁にはレリーフが施されており、ジャムウを調合している女性が描かれています。ブランバナン寺院群(9世紀初頭)などのヒンズー教寺院のレリーフにもジャムウに関する描写が残されています。また、ジャムウの調合法を記載した10〜11世紀の古文書がヒンズー教徒の多いバリに残されているそうです。さらに、今日のインドネシアで用いられているジャムウの配合生薬の多くがインドのアーユルヴェーダ医学で用いられるものと共通することから、8世紀中頃にインドからヒンズー教と共に伝えられたアーユルヴェーダ医学がジャムウの起源ではないかと考えられています。
今日、ジャムウの多くは製薬企業の工場で薬用植物の抽出エキスの粉末や錠剤、カプセルの形状で製造され、薬局などで販売されています。また、ジャムウ・ゲンドンと呼ばれる薬の行商人(大半がジャワ人女性)が客の求めに応じてジャムウ構成生薬の抽出液や新鮮薬用植物の搾り汁を路上で販売しています。その治療法は主として問診から症状を判断して生薬を配合しており、医学書に相当するものはなく祖母や母から娘に継承される世襲的な医学知識を基にしているそうです。
ジャムウ生薬
筆者は大阪大学薬学部の生薬学講座が中心となって1985年から実施してきたインドネシア科学院との民間医療と伝統薬の共同調査に参加すると共に、京都薬科大学での熱帯多雨地域における天然薬物資源調査の一環としてジャムウ生薬の機能性成分を探索しました。これまでに東ヌサ・テンガラ州(チモール島、フローレス島)やスラウェシ島でのドゥクンの聞き取り調査により採取した薬用植物及びジャワ島とバリ島で入手したジャムウ生薬について科学的研究を実施しました。その結果、例えばチモール島で蛇に咬まれた折の解毒薬として内服され、また疥癬の治療薬として外用されるガガイモ科のCalotropis giganteaの根から多数のオキシプレグナン型ステロイドのオリゴ配糖体、フローレス島でBeoと呼ばれるニガキ科の Picrasma javanica からはカッシノイド類、スラウェシ島でSom Java(ジャワ人参)と通称され強壮効果が伝承されるTalinum paniculatum から新奇な構造のアルカロイドを明らかにし、興味深い生物活性を見出しました。また、ジャムウ製剤に汎用される Alpinia galanga などの食用ショウガ科植物の含有成分を精査して、フェニルプロパノイド類やセスキテルペン類などに健胃、抗潰瘍、抗炎症、抗アレルギー、抗糖尿病、肝保護作用などを明らかにしました。
おわりに
ジャムウ生薬をはじめメディカルハーブの研究は、植物に含有される成分をそれらの植物とは縁もゆかりもない人間の健康に役立てる学問といえます。植物の意図に反して人間が利用するためには現地を調査してメディカルハーブが見出されてきた歴史を紐解き、“大地の囁き”ともいえる伝承に真摯に耳を傾けることが前提になると思います。
今回をもちまして、吉川雅之先生の連載は終了となります。10年半の長きにわたり、誠にありがとうございました。この場を借りまして深く御礼申し上げます。
初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第51号 2020年3月