ハーブ偉人伝: ヒポクラテスとガレノス
ヒポクラテスほど世界で有名な医者はいません。しかし、その姿を追おうとするとなかなか理解ができません。
というのも、ヒポクラテスの姿は『ヒポクラテス集典』と呼ばれる複数の文書から推測されているからです。しかし、どの著作がヒポクラテスの自書なのかはわからず、多くが息子や弟子たちが書いたものだと考えられています。自書のほかコス学派、クニドス学派、それ以外が混ざり合っていて、どれがヒポクラテス自身の著作なのかを判断するのは絶望視されています。『ヒポクラテス集典』はアレキサンドリア図書館で集められ、紀元前3世紀ごろにコス派中心の20の文書からなる原初形ができ、1世紀頃までにクニドス派などの著作が加わり、中世写本で加わり、1839年のリトレ版で71篇になっています。
ヒポクラテスの後、約600年後に生まれたローマ時代の医師ガレノスも、多くのヒポクラテスの論考を書きました。さらに、どの文書がヒポクラテスの自筆なのかについても『ヒポクラテスの著作の真偽について』を書いていました(この文書は消失しています)。ガレノスばかりではなく、多くの医師や哲学者が『ヒポクラテス集典』についての論考を書いています。もちろんエーゲ海やバルカン半島周辺のギリシャ語地域だけではなく、アレキサンドリアのムセイオンの医学教科書にも使われ、エジプトやアラビア語地域まで及んでいます。ガレノスによるヒポクラテスの論考のアラビア語訳はフナインによってギリシャ語からアラビア語に翻訳され、多数の解説がこの論文に基づいて作成されました。
さて、ヒポクラテスはどういう人生を歩んだのでしょうか。ソラノスというエフェソスの婦人科医が書いている『ヒポクラテスの家系と生涯』という文書があり、第八十回オリンピア大会期の第一年(紀元前460年ごろと計算されています)、ヒポクラテスはコス島で医神アスクレピオスの末裔の貴族の子として産まれました。コス島はトルコのエーゲ海ボドルムのすぐそばにあります(現ギリシャ領)。アスクレピオスの末裔はトルコ沿岸の医師集団であり、アスクレピオス神殿の世襲の神官をしていました。ヒポクラテスはコス島に分かれた末裔の19代目だそうです。この神殿は今でも残っています。古代、病気は神の仕業であると考えられ、治療は主に薬草と食事療法によって行われていたようです。
『ヒポクラテス集典』におけるヒポクラテスの薬草の品目は258であり、滋養薬は動物性2、植物性48、粘液油脂類16、収斂性薬物24、劇薬54、芳香薬67、樹脂類22、麻酔薬6、無機物9、金属6、その他4となっています(『薬の来た道進む道』)。ヒポクラテスの食事療法は小麦粥を止めてパンにする、生肉を止めて加熱肉にする、一日一食を一日数回にするなどのものでした(『古い医術について』)。
当時、この現トルコ沿岸部には多くの自然学者が輩出されていました。ピタゴラス(サモス島)、タレス(ミレトス)、アナクシメネス(ミレトス)、アナクシマンドロス(ミレトス)。時代的にも呪術から自然哲学へと移行している時でもありました。ヒポクラテスが病気を呪術から科学的に捉える機運は出来上がっていたのでしょう。彼は病気を科学でとらえようとしたのでしょう。
当時の医療での対応する疾病は「感染症」が最も重要でした。ヒポクラテスは、顔色、脈拍、発熱、痛み、動き、排泄物など、多くの症状を注意深く定期的に記録しました。当時は何より、分利(『病気の峠』)と予後(見通しのことで、『箴言』に記述)というのが重要でしたのでヒポクラテスの記した症例は他の医師にとって重要でした。もちろんどんな病気にも怪我にも対応するわけですから、骨折の整復なども行っていました。そして、火炎やメスやカニューレや吸い玉などのいろいろな道具を使っての治療もしていたようです。
ヒポクラテスは両親が亡くなったのち、コス島から離れました。北エーゲ海地方を息子や弟子とともに患者を治療してまわったと伝えられています。
コス市内にあり見ることが出来る有名なプラタナスの木は5〜6代目といわれています。本当にここで講義をしていたのかは実は疑問もあるようですが、有名な『ヒポクラテスの誓い』は、自著ではないそうですが、ヒポクラテスの弟子たちに伝えられていたようです。
さて、このようにヒポクラテスをはじめとしてエーゲ海地方にはたくさんの医学者や哲学者や薬学者が存在していました。ぺルガモンはアッタロス王朝の後にローマ属州となり小アジアで最大の都市となりました。そのような中、129年、ペルガモンにガレノスが誕生しました。ガレノスは建築家ニコノスの息子として育てられ大変な英才教育を施されました。(つづく)
[参考文献]
・坂井建雄『図説 医学の歴史』医学書院2019年
・國方栄二『ヒポクラテス医学論集』岩波文庫 2022年
・野口 衛『薬の来た道進む道(その4)』薬学図書館34(3)、164-169(1989)
初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第63号 2023年4月