2024.10.4

イチョウの植物学と栽培

当協会理事

木村 正典

分類・名称

分類

 「イチョウ」( Ginkgo biloba L.)は、近縁種が全て絶滅しており、1種だけが現存しています。

 植物分類体系によって分類が異なりますが、かつての新エングラー体系では、裸子植物門、イチョウ綱にイチョウ1種が分類されています。一方、World Flora Onlineでは、植物界、プテリドビオティナ亜界(Pteridobiotina;シダ生物の意味)、イチョウ門とする分類を採用しており、イチョウ門にイチョウ1種のみとなっています(図1)。なお、生物学的分類群とは別に、一般には、ソテツとイチョウ、球果植物を合わせて裸子植物、裸子植物と被子植物を合わせて種子植物、種子植物とシダ植物を合わせて維管束植物と称します。

 イチョウ門に現存するのはイチョウ1種のみですが、近縁植物として、イチョウの起源と考えられているトゥリコピティス科をはじめ、カルケニア科、イマイア科などが化石で発見されています。イチョウ科にも十数属がジュラ紀や白亜紀などの中生代の地層から化石で見つかっています。

図1.World Flora Onlineで採用している植物分類。黒字は生物学的分類群で、赤字は一般的な分類。

名称

学名の属名のGinkgo(ギンクゴ)は、オランダ人医師ケンペル(Engelbert Kaempfer)が日本から持ち帰った押し葉標本に記載した名称を元に、リンネによって1771年に命名されました。ケンペルは、1690年から2年間、長崎の出島に滞在しており、日本での呼び名を中村惕斎の『訓蒙図彙』(1666)(銀杏、ぎんあん、いちゃうと書かれている)を元に記載したと考えられています。ケンペルの『Amoenitatum Exoticarum Politico-physico-medicarum』(廻国奇観、1712)には、「Ginkgo, vel Gin an vulgo Itsjo(Ginkgoあるいはギンアン、一般にイチョウ)」と記載されています。この記載は、本来、GinkjoとすべきところをGinkgoと誤植したという説が有力です。誤植の根拠の一つとして、ケンペルは「キョウ」とつく植物のフリガナにkjo、kjoo、kioと書いていることがあげられます。リンネはこのGinkgoを誤植と知らずに学名に用いたとされています。誤植だとしても、命名したリンネの誤植ではないため、学名を修正することはできません。

種小名のbiloba(ビロバ)は「2浅裂の」の意で、葉の形態に由来します。

英名のginkgo(ギンコゥ)は、学名の属名からきています。ほかに、異なる綴りのgingkoや、maidenhair treeなどと呼ばれます。maidenhairはアジアンタム(ホウライシダ属)を指し、葉が似ていることに由来します。

中国では、古くは「鴨脚」と呼ばれ、葉の形態に由来します。11世紀前半には「銀杏」の文字が見られ、種子が銀色で杏に似ることに由来します。そのほか、祖父(公)が植えても実るのは孫の代ということから「公孫樹」や、葉の形態から「鴨掌樹」などの異名もあります。種子は「白果」のほか、「霊眼」、「仏指甲」、「仏指柑」などと呼ばれます。

日本語の「銀杏」は、室町時代の『異制庭訓往来』(虎関師錬、1346〜75頃)にふりがななしで初出し、中国名に由来します。「イチョウ」の音は、1440年代の複数の文献に記載が見られ、その語源については、貝原益軒が『日本釈名』(1700)や『大和本草』(1709)で、「一葉」から来ているとしています。しかし、現在では中国名の「鴨脚」の発音「ヤチャオ」が訛ったとする説が有力視されています。また、「ギンナン」の音は、「銀杏」を「ギンアン」と呼んだ訛りとされています。

一般に、「銀杏」を「イチョウ」と発音するときは樹木を、「ギンナン」と発音するときは種子を、「ギンキョウ」と発音するときは生薬としての種子を指します。なお、生薬で種子をともいいます。

人とのかかわりの歴史  

イチョウの歴史

 イチョウは中国原産ですが、2億7000万年前の古生代末期ペルム紀の化石から見つかっており、この頃存在したローラシア大陸とゴンドワナ大陸に挟まれたタティス海(Tethys Ocean)沿岸を起源とすると考えられています。その後、恐竜の全盛期でもある中生代ジュラ紀にイチョウも最盛期を迎え、十数種の近縁種が存在したことが化石から推測されています。その後、6600万年前の中生代の最後にメキシコユカタン半島に小惑星が衝突したことで地球が冷え、恐竜をはじめとする生物の75%が死滅したとされる際に、イチョウの仲間も皆、絶滅し、中国貴州省付近に自生する現存のイチョウのみが生き残ったと考えられています。このことから、イチョウは古生代から、絶滅の危機を乗り越えて現存する生きた化石といわれています。

 現在では、世界各地に植栽されていますが、野生のものに関しては、湖北省、浙江省、貴州省、重慶市で野生か半野生とするイチョウが報告されているものの、人が植えたものかどうかはっきりしていません。国際自然保護連合(IUCN)ではイチョウの野生種は浙江省天母山に限定されるとして、絶滅危惧IB類(EN)に指定しています。野生のイチョウに関しては長らくその存在が科学的に明らかになっていませんでしたが、最近になって、貴州省の大楼山脈で、化石との植物相の一致などの科学的根拠をもって発見されました(Tang et.al., 2012)。この地帯は、氷河期に氷河から逃れるための避難場所であったと考えられています。

中国での歴史と中薬利用

イチョウは歴史的には古い植物ですが、人との関わりの歴史はそう古くはありません。中国の文献では、『神農本草経集注』(456-536年)や 『新修本草』(659年)にイチョウは記載されていません。中国で文献に現れるのは10〜11世紀で、植栽され始めたのが11世紀、薬用効果が記載されたのが12世紀とされています(堀、2001)。

中薬大辞典(1988)によると、中薬ではイチョウの種子を「白果」と呼んで、成熟種子を地上に積み上げる、水に浸す、つくなどして外種皮を除去したのちに洗浄して日干し、最終的には中種皮(硬殻)を除去して、種子(胚乳)を煎剤やつき汁、丸剤、散剤で内服、もしくはついて塗布して外用します。そして、白果は、肺の気をめる、を定める、滞濁を止める、小便を縮める、の効能があるとし、喘息や頻尿、などの皮膚疾患に用いると記されています。また、イチョウの根あるいは根皮を「白果根」と呼び、虚弱、白帯、遺精の治療に用いるとしています。さらに、樹皮を「白果樹皮」と呼び、焼いて灰にして油で調え、牛皮銅銭癬をこすって治すとしています。そのほか、葉を「白果葉」と呼び、初秋に黄葉前の葉を乾燥させ、粉末にして小麦粉と合わせて餅にして蒸し焼きにして下痢止めに用いるほか、肺気を斂め、喘息咳を平らかにし、帯濁を止め、やを治すほかを治すとしています。

イチョウは、仏教とともに広がり、中国国内の仏教寺院に植栽されるのみならず、朝鮮半島や日本にも伝播していきました。

日本への渡来と普及

日本への渡来時期については明らかになっていませんが、『延喜式』(927)や『本草和名』(918)、『倭名類聚抄』(931〜938)などの平安時代の文献に登場しないこと、中国から日本に向かっていた沈没船から、1323年と記された木簡とともにギンナン(種子)が見つかっていることなどから、鎌倉時代に仏教とともに本格的に渡来し、室町時代に普及したものと考えられています(堀、2001)。その後、布教活動とともに各地に植栽されたことから、現在、全国に植栽されているイチョウの33.8%が神社・寺院であり、公園(14.1%)の2.4倍で、日本を除く世界では、教会・寺院・陵墓(17.6%)が公園(31.5%)の56%程度と低いのと対照的です(十亀、1984)。

また、神社・寺院などに植えられたことから伐採から免れて巨樹となったものも多く存在します。日本で最も大きなイチョウは、青森県深浦町北金ケ沢の神社・寺院の跡地に残る幹周22 m、樹高31 mの国指定天然記念物「北金ヶ沢のイチョウ」で、日本の全樹種の中でも3位となっています。ちなみに、巨樹の上位10位はこのイチョウ以外、全て神社のクスノキで、天然記念物の巨樹のほとんどが神社・寺院に植えられています。また、日本で最も古いイチョウは、長崎県対馬市上対馬町琴の長松寺にある「対馬琴のイチョウ」で、樹齢1500年とも言われ、大陸から伝わった初のイチョウとされています。そうであれば、日本に最初にイチョウが渡来したのは古墳時代ということになります。

乳イチョウと乳信

イチョウは、古木になると、鍾乳石のような乳が垂れてきます。この乳は英語でもchichiであり、ほかに、垂乳や乳垂、垂乳根、乳房根、乳根、乳柱などと呼ばれます。また、乳をもつイチョウは乳銀杏と呼ばれ、古くから母乳の出を願う乳信仰の対象であり、子宝成就や安産祈願などとあわせて、人々の信仰を集めてきました。乳イチョウと呼ばれているイチョウは全国各地に200本以上あるとされ、天然記念物や文化財に指定されるなどの名木が多く、大切にされています。

乳信仰の内容として最も多いのが、「イチョウの乳を削って持ち帰り、煎じて飲んだり粥に炊き込んで食べたりする」と「イチョウの乳をなでるなどして木に向かって祈願する」であり、そのほかにも「イチョウの乳に祈願や名前を書いたものを結わえる」や、「寺で経をあげてもらい祈願でいただいた米を焚いて食べる」、「イチョウの木に乳房状の布製のものを下げる」、「木がある寺社に布製や土製の乳房型のものを奉納して祈願する」など様々で、かつて母乳の出が如何に大切であったかがうかがえます(児島、2018)。

写真1.青森県深浦町にある国指定天然記念物「北金ヶ沢のイチョウ」の乳

防火樹

神社・寺院に植えられる理由に信仰が、街路樹として植えられる理由に強剪定に耐えることがあげられますが、そのほかにも、火災の延焼を防ぐ防火樹としての役割も見逃せません。耐火樹の条件として、含水率の高いことと、精油含量の低いことが重要です(斉藤、1999)。イチョウの葉は含水率74.6%と、ウバメガシ(48.6%)の1.5倍で、樹木の中では最も含水率の高いものの一つです(木村・加藤、1948)。また、イチョウの乾燥葉中の精油含量は0.4 mL/100gと、トドマツ(8 mL/100g)の1/20、クスノキ(2.4 mL/100g)の1/6と低いことが報告されています(谷田貝、1996)。このように、イチョウは耐火樹としての高い能力を有しており、関東大震災や阪神・淡路大震災で、その防火効果が確認されてきました。防災を考える上で都市計画に欠かせない樹種です。イチョウの防火機能を高めるためにも、街路樹の切り過ぎを見直す必要があるでしょう。

メディカルハーブとしての利用

国際協力事業団(1999)の報告によると、1965年、ドイツの製薬会社「シュワーベ」は、イチョウの薬理作用に注目して研究を始めました。絶滅の危機を乗り越えてきた生きた化石に、何らかのパワーがあると考えるのは自然なことかもしれません。ただし、この時代に、欧州にはイチョウが存在しないことから、日本から乾燥緑葉を輸入して研究をスタートさせ、それ以降、日本は、世界最大のイチョウ葉の輸出国となりました。1970年代は、街路樹や造園苗木生産者から集められた葉を乾燥させて輸出していましたが、1980年代になって、ドイツを中心に、フランスやアメリカなどでイチョウ葉エキス製剤の開発・販売が盛んになると、日本では街路樹生産者による副業生産から、薬用植物としてのイチョウの本格的な栽培が行われるようになりました。ところが、ドイツ、フランスの製薬会社は、日本では農業後継者不足によって生産拡大が見込めないと判断し、輸入拠点を韓国、中国、アメリカにシフトし、1990年代後半には、日本のイチョウ葉生産は1/3に減退しました。現在、イチョウ葉生産の中心は中国を筆頭に、韓国、フランス、アメリカなどで、日本はこれらの国から乾燥葉を輸入し、加工・輸出する製品輸出国になっています。

 一方で、日本では、イチョウ葉エキスの家畜飼料としての利用が進み、養鶏や養殖魚を中心に実用化されています。

形態・成分

 

形態

 イチョウは、樹高20m以上になる高木で、中には40〜50mに達する巨樹もあります。

 樹皮は淡灰褐色で、幹では不規則に縦長に走る割れ目が特徴的で、一度覚えると樹皮を見ただけでイチョウとわかります。

 古木になると、枝から太い乳が垂れてきます。この乳は地面に着くと根を出しますが、途中から枝葉を出すこともあることから、気根ではなく、根でも茎でもない器官である担根体と考えられています。担根体はシダ植物で見られる器官です。

 葉は、1年目の緑色の枝には互生します。2年目以降の枝では節(葉の着いているところ)から数枚の葉が出る束生となります。枝が古くなると、節の部分が次第に伸長して数cmの短枝となり、その先端に葉を3〜10枚ほど束生します。葉と同じところから花も複数着生します。葉は扇形で、先端が2つに浅裂し、学名の種小名biloba(2浅裂の)の由来になっています。葉は、実生苗の枝や剪定後の徒長枝、ひこばえなどの勢いのよい枝に互生する葉や大きな葉では切れ込みが深く、時に掌のように分裂します。一方、短枝に着く葉は浅裂するか全くしないものも見られます。植物は一般に、風であおられたりする負担を軽減する目的で、抽苔茎の葉のように、部位によって形を変え、葉脈周辺を残して欠刻がきつくなって葉身面積を小さくすることがあり、イチョウも同じ戦略かもしれません。葉脈はシダ植物同様、二又脈で、葉の基部から二又を4〜6回繰り返す間に扇形に広がります。この二又に分かれる回数は成長過程で変化しないことが中学生によって観察されています(松川、2001)。葉の変異として、扇形に展開せずにロート状になる葉も存在し、ロート状の葉が数割混ざるラッパイチョウと呼ばれる樹も全国で20本ほど知られています。また、葉縁に種子の着生する変異が数割から半分ほど混ざるオハツキイチョウと呼ばれる樹も全国で70本ほど知られています。なお、オハツキラッパイチョウも3本ほどあるほか、斑入りや枝垂れなども数本知られています。

 イチョウは雌雄異株で、ギンナンは雌株に着きます。葉の切れ込みの有無などの形態から雌雄を判断することはできません。

 植物学的には、花や果実という用語は被子植物のみに用い、裸子植物は花を着けず、果実を形成しないことになっていますので、雌花ではなく雌性胞子嚢穂(大胞子嚢穂)、雄花ではなく雄性胞子嚢穂(小胞子嚢穂)と呼ばれます。しかし、ここでは一般的な呼び方を用い、胞子嚢穂ではなく花と称することにします。雌花は上を向いて、雄花は垂れ下がって咲きます。花は風媒花なので地味で目立ちません。

写真2.イチョウの1年目の緑色枝に互生する葉
写真3.イチョウの古い枝に互生する短枝と、その先端に束性する葉と種子

精子

 被子植物では、雌しべの柱頭に花粉が受粉してから、花粉から花粉管を発芽・伸長させ、その中を精細胞が移動して胚珠の卵細胞と受精して種子が形成されます。裸子植物のうち、マツやヒノキなどの球果植物では胚珠の先端にある珠孔から花粉が入り、胚珠内で花粉管を発芽・伸長させて精細胞を卵細胞まで届けます。ところが、イチョウとソテツでは、精細胞ではなく、精子が受精します。コケやシダは精子を形成しますが、種子植物ではイチョウとソテツのみであり、イチョウやソテツがより原始的であることがうかがえます。

 イチョウは4〜5月に開花し、雌花のむき出しになった胚珠の先端の珠孔に受粉液を出します。その受粉液で花粉をキャッチして液と共に胚珠内に吸い込みます。その後すぐに精子が泳ぎ出すわけではなく、受粉後に精子が発達するのに時間を要するため、最終的に泳ぎ出して受精するのは9〜10月です。

 イチョウの精子は1896年に帝国大学理科大学(現東大理学部)技手で画工の平瀬作五郎によって、小石川植物園のイチョウから、世界で初めて発見されました(平瀬、1896)。小石川植物園には平瀬が精子を発見したイチョウを今でも観ることができます。ちなみに、ソテツの精子は同じ年に、帝国大学農科大学(現東大農学部)助教授の池野成一郎によって、鹿児島県立博物館のソテツから、世界で初めて発見されました(池野、1896)。

 イチョウの学名は日本で採集された標本を元に付けられており、イチョウ葉の薬理研究も日本のイチョウで始まり、イチョウの精子も日本人が初めて発見したなど、イチョウは日本との関わりの極めて深い植物です。

写真4.小石川植物園にある、平瀬が精子を発見したイチョウ

種子(ギンナン)

 イチョウは裸子植物ですので、種子は果実に被われずに、むき出しになっています。ギンナンは一見、果実のようにも見えますが、外側の臭くて軟らかい部分は外種皮であり、その中の硬い殻は中種皮、ギンナンを食べる時に剥く薄い皮が内種皮で、食べるギンナンの部位は種子の胚乳です。なお、猪野(1977)は外種皮を外種皮外層、中種皮を外種皮内層と呼んでいます。ちなみに、裸子植物で、同じように肉質化する外種皮をもつものにイヌガヤがあります。一方、カヤやイチイの肉質部位は仮種皮であり、ジュニパーベリーの肉質部位は松かさが肉質化したものです。

 ギンナンの外種皮の悪臭は、飽和脂肪酸の酪酸(ブタン酸)とエナント酸(ヘプタン酸)によるものです。また、外種皮によるかぶれは、アレルギー性皮膚炎を起こすアルキルフェノール類のギンコール酸の脱炭酸化合物であるギンコールやビロボールによるもので、ウルシオールと交叉反応を示すことから、ウルシでかぶれる人はかぶれる可能性があります。

 イチョウの種子は未熟な状態では緑色で目立たなく、外種皮に臭いもなく、酸味が強くて食べにくくなっています。種子が熟すと、オレンジ色に色づき、臭いを放つことから、臭いも動物に食べられるための生存戦略と考えられます。タヌキやハクビシンなどで外種皮ごと種子を食べることが観察されていますが、その昔は恐竜が好んで食べて糞であちこちに拡散したと考えられています。

 ギンナン(種子)は食べ過ぎると中毒を起こすことが知られています。中毒の原因成分は4-O-メチルピリドキシン(別名:4’-メトキシピリドキシン、ギンコトキシン)で、ビタミンB6に良く似た構造をしており、摂取するとビタミンB6の働きを阻害し、数時間のうちにビタミンB6欠乏症となり、グルタミン酸脱炭酸酵素活性が低下して、GABAの生合成を阻害し、神経伝達物質の興奮と抑制の間に不均衡が発生して中毒を引き起こします。この成分は加熱調理をしても分解されません。妥当な摂取量は人によって大きく異なり、中毒を引き起こす量は小児で7〜150粒、大人で40〜300粒という記載もあり、かなりの幅があります。41歳女性で、60粒食べて4時間後に中毒症状を起こして救急搬送された症例では、補酵素型ビタミンB6とも呼ばれるピリドキサールリン酸の経口投与によって症状の軽減したことが報告されています(宮崎、2010)。食べ過ぎると嘔吐や下痢、痙攣を引き起こしますので、特に小児には注意が必要です。

機能性成分と作用

 イチョウ葉の薬理研究当初の1970年代、欧州では、フラボノイドによる循環器系疾患の治療薬・一般薬として開発・販売されていました。その後、ギンコライドによる成人病予防や老化防止の効果が発表されました。イチョウ葉には20種類以上のフラボノールとフラボノール配糖体が存在し、ケルセチンを主体に、ケンフェロールやイソラムネチン、ミリセチンなどが主要なアグリコンで、配糖体の糖部は、グルコースやラムノース、ルチノースなどです。流通するイチョウ葉エキスには、フラボノイドを24%、テルペノイドを6%(ビロバライド2.9%、ギンコライド類3.1%)含有するほか、アレルゲンとなるアルキルフェノール類のギンコール酸は5ppm以下になるよう規格化されています。これらの成分により、抗酸化や神経保護、抗炎症などの作用が認められ、アルツハイマー型認知症の症状改善効果が期待されています(佐々木・松岡、2012)。そのほか、脳でのグルコース消費を促し、脳代謝を改善して頭痛やめまい、耳鳴り、うつ症状、記憶力・集中力低下などに効果があるほか、血液循環を促進することから、動脈硬化などの血流障害や冷え症、糖尿病性網膜症、腎炎、神経障害など糖尿病の合併症予防にも用いられます(木村・林、2023)。さらに、アレルギー症状の緩和にも用いられます。イチョウ葉エキスは、イギリスを除く欧州と中国では医薬品として登録されています。一方で、研究原料生産国であった日本では薬として認められておらず、健康食品として販売されています。

 性状と栽培   

 イチョウは北半球ではメキシコからアラスカまで、南半球では南アフリカ共和国からニュージーランドまでの年平均気温0〜20℃の温帯から寒帯に植栽されて分布しています。日本では北海道と南西諸島で植栽が少ないほかは、全国各地の神社・寺院をはじめ、街路樹や公園樹木として植栽されています。特に、強剪定に耐えることから、電信柱のように切られる街路樹には向いています。

 裸子植物には珍しい落葉樹で、ほかにはカラマツやメタセコイア、ラクウショウ、スイショウ、ポンドサイプレスくらいしかありません。落葉樹は、落葉前にクロロフィル分解酵素が働いてクロロフィル(葉緑素)を分解・回収します。そのため、緑色が退色し、クロロフィルと同じく葉緑体に存在するカロテノイドが見えるようになってします。一方、する植物では直射日光の当たっている部分にアントシアニンが着生します。イチョウはアントシアニンを作る酵素をもたないため、赤く色づきません。

 繁殖は、種子か挿し木で行います。種子に休眠はなく、発芽率は100%近くで、発芽適温25〜30℃で発芽まで2〜4週間かかります(Feng, 2018)。挿し木は、1〜3年目の木化した茎を秋に挿すか、1年目の緑色の茎を初夏に挿します(Lin, 2022)。

 かつては繁殖(種子による繁殖)が主でしたので、樹齢25〜30年になって花が咲くまでは雌雄の区別がつかずに、街路樹でも雌雄混ざって苗木が植えられたため、古い街路樹ではギンナンのできる雌株があります。現在では挿し木繁殖が主流で、街路樹ではギンナンによる苦情を嫌って雄株しか植えないようになっています。ギンナン栽培農家は雌株を植えますが、苗木から果実生産までかなりの年数を要するので、その間は葉を生産します。葉のみを専門的に効率よく生産するためには、畝間150cm、株間80cmに密植栽培する方法と、養蚕用クワの葉栽培や桜葉の塩漬け用のオオシマザクラの葉栽培のように、ポラード仕立て(台切り萌芽、あがりこ更新)による方法があります。

引用文献

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当協会理事
木村 正典 きむらまさのり
(株)グリーン・ワイズ。博士(農学)。ハーブの栽培や精油分泌組織の観察に長く携わると共に、都市での園芸の役割について研究。著書に『有機栽培もOK! プランター菜園のすべて』(NHK 出版)など多数。

初出:特定非営利活動法人日本メディカルハーブ協会会報誌『 MEDICAL HERB』第68号 2024年6月