2012.5.10

遺伝子から栄養学を考える

コメント:金田俊介、報告者:桂川直樹

遺伝子から栄養学を考える

テレビや雑誌などで、ダイエットに効果がありそうだという食品が紹介されると、次の日にはスーパーでは売り切れ続出・・・なんてことも珍しいことではなくなってきました。次から次へと、そういった類の食品が紹介されているのを見る限り、必ずしも効果を発揮してくれているわけではないようです。同じものを食べているのに、ある人には効果があり、他の人には効果がない。食べ方によるものが大きいのでしょうが、「個人差」も一つの要因かもしれません。ハーブでも、個人差という問題が大きく関わってきます。この個人差、さまざまな要因が絡んでくるのですが、遺伝子のちょっとした違いも考える必要がありそうです。

近年の遺伝子研究における進歩は目覚ましいものがあり、ある生物の持つ全ての遺伝情報(これをゲノムと言います)を解読することを目的としたゲノムプロジェクトなど、さまざまな研究が実施されています。このゲノムプロジェクトなど、ゲノムや遺伝子を研究する分野のことをゲノミクスと呼びます。ゲノミクスの発展により、「個人差」が遺伝子の違いによって明らかにされつつあります。とくに医療分野での応用が期待されています。
さらに、食品などの効果を考える栄養学も、個人の遺伝子の違いから細かく解析する時代になってきました。先ほどの「同じものを食べているのに、ある人には効果があり、他の人には効果がない」現象など、栄養学を遺伝子レベルから解析する研究分野をニュートリゲノミクスと呼びます。

今回のレポートは、昨年カナダで開催された国際人類遺伝学会でのニュートリゲノミクスに関する発表についての報告です。内容は、全粒粉が糖尿病予防に効果的であることを遺伝子レベルで示したものですが、とくにGCKR遺伝子というものに変異がある人とない人で全粒粉の効果も違ってくるようです。

なお、下記本文でも解説されているように、実際は個人差、病態など、遺伝子だけでは説明がつかない部分が多く残されています。と言うのも、例え遺伝子が同じでも、その遺伝子が働く場合、働かない場合も考えなくてはいけないからです。(これを研究する分野をエピジェネティクスと呼びます。)さらに、そもそも体に作用するのは遺伝子から作られるタンパク質なので、全タンパク質を解析するプロテオミクスという研究分野も重要です。ゲノム解析から個人の遺伝子の違いを医療につなげようとした「オーダーメイド医療」も、エピジェネティクス、プロテオミクスなどのさらなる膨大な研究が必要になります。さらに家庭でもできる「オーダーメイド予防」のためにも、食品、ハーブなどを対象とした包括的な研究が進むことに期待したいものです。
(コメント:金田俊介)

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ニュートリゲノミクスの研究動向

2011年10月中旬に、国際人類遺伝学会(ICHG)※1に参加しました。アメリカ人類遺伝学会(ASHG)※2との合同学会としてカナダ・モントリオールで開催されたものです。約7,000人の医学博士と医師が参加する比較的大規模な学会で、セッション数が77、ポスター発表が3,000超と4日間にわたって盛大に行われました。当協会の活動とは関係なく個人的な事情により参加したものですが、せっかくの機会ですので以下の通り最近の遺伝子研究をふまえたメディカルハーブの果たすべき役割についての私見をレポートさせていただきたいと思います。

遺伝子分野での研究の進展はめざましく、近年では大きく2つのイノベーションが貢献しています。1つ目は次世代シーケンサー(アミノ酸の配列を分析する装置)の登場による検査スピードの向上、検査コストの低下です。次世代シーケンサーで全ゲノム(30億塩基対)を比較的安価でかつ短期日で解読することができるようになりました。もちろん多くの付帯設備が必要になり、それほど容易に検査できるわけではありませんが、以前とは比較にならないスピードで検査できるようになってきています。さらに小型化、高機能化が進められ、リーディングカンパニーである米国イルミナ社はこの4年で検査スピードが1,000倍になったと報告しています。これはムーアの法則※3を上回るペースです。2つ目は検査によって得られたデータを解析する技術が向上してきたことです。これはITの進化に伴い、計算処理できる能力が飛躍的に高まり、羅列された塩基情報から遺伝子やその変異したSNP(一塩基多型)※4などを網羅的に解読するスピードが早くなっています。これらイノベーションの貢献により、遺伝子検査や解析の受託サービス、全ゲノム検査・解析をするサービスが事業化されています。まだまだ検査精度が高くなく、かつ倫理的な課題もあるため、全ゲノムや全エキソン検査・解析をDTC(Direct to Consumer)で提供する野心的な事業家に対して、学会側は冷ややかな視線で見ています。しかしながら、一般のひとたちには「自分の遺伝子を知りたい」という潜在的ニーズがあることが確認されていて、さらに検査コストが低下してきたとき、今後どのような変化が生じるか、ますます注目されることでしょう。

検査技術、解析技術が進化する一方で、学術的にはむしろ分からないことも多くなってきた感があります。そのため、創薬に活かすためのサイクルまでたどり着くのは容易ではなく、今後10年くらいの時間※5が必要になるとされています。例えば、遺伝子の変異には前掲のSNPにもさまざまな類型があり、加えてコピー数に違い(CNV)があるものや、DNAが格納されているヒストンへの修飾やメチル化が影響を及ぼしていることも確認されています。また、エピジェネティクス※6という学術分野の研究が盛んで、解明が進むほどに、ヒトのからだが複雑に制御されていることが明らかになっています。さらに細胞内の別の場所に格納されているエキソームについてもまだまだ研究はこれからといった感じです。現在のところ遺伝的な因果が強そうな(つまり研究の成果が確実に得られる)希少疾患に研究が集中しています。がんについての研究も盛んですが、遺伝的要因は環境要因に比べて小さい※7と言われており、複数の遺伝子が関与していることから、大規模な研究をしてようやく統計的に有意な結論がでてくるというものです。アメリカや中国、フランスなど各国が競って大規模なゲノム・コホート研究を行い始めました※8。何らかの発表がでてくるのは早くても5年後くらいでしょう。

これまで述べて来たように遺伝学研究は、まだまだ病気の予防や治療にも充分な成果を発揮しているというレベルには至っていないようです。予防や日常の健康管理ということになると、より後天的な環境要因変数が大きすぎてまだまだ研究が進んでいるとは言えません。同じ食べ物をたべても人によってその影響が異なります。摂取した栄養素・食品と、体質の違い(ゲノムの違い)が病気とどのような因果関係にあるかを研究するこの分野はニュートリゲノミクス※9と呼ばれています。ICHGではこの分野のセッションでいくつかの興味深い発表がされていました。その報告のなかでもWhole Grain(穀物の全粒粉)が糖尿病予防に対して有意に働くことをゲノムレベルで解明したメタアナリシスのアブストラクトを紹介いたします。

タイトル:全粒粉の食事と空腹時血糖値およびインスリン関連の遺伝子座の相互作用
(ヨーロッパ人を対象にした14コホート研究のメタアナリシス)
原題:Interactions of Dietary Whole-Grain Intake With Fasting Glucose- and Insulin-Related Genetic Loci in Individuals of European Descent, A meta-analysis of 14 cohort studies.
論文掲載:Diabetes Care 2010年8月6日
著者:Jennifer A Nettleton, et al.

(目的)
全粒粉の食品には多くの機能性があり、インスリンの感度を高め、2型糖尿病のリスクを減らすといわれている。近年の全ゲノム関連解析(GWAS)※10ではいくつかのSNP(一塩基多型)と糖尿病ではない個人の空腹時グルコース(血糖値)とインスリン濃度との関係が示されている。私たちは全粒粉食品の摂取と遺伝子の違いが、空腹時グルコースとインスリン濃度に相互作用を与えるという仮説を検証した。

(研究方法)
ヨーロッパ人を対象にした14のコホート研究(48,000人以下の被験者を対象)のメタ分析を行い、全粒粉の食事とGWASで示された空腹時のグルコース(16カ所)、インスリン(2カ所)濃度を示す遺伝子座との相互作用を研究した。p値として0.0028以下(0.05÷18試験)が相互作用の統計的有意な値として妥当であるとみなした。

(結果)
全粒粉食品の摂取が、人口動態、その他の食事、生活習慣やBMIとは独立して、空腹時グルコースとインスリン濃度を下げることが示された。一回の全粒粉食品摂取で、グルコース0.009mmol/l(p値<0.0001)、インスリン0.0011pmol/l(p値=0.0003)が減少。(信頼区間:95%)私たちが修正した複合テストでは、いずれの相互作用も統計的有意な閾値を超えることはなく、全粒粉食品の摂取ともっとも強い相互作用を示した遺伝子座はrs780094(GCKR遺伝子※11)のSNPと空腹時インスリン(p値=0.006)との関係で、全粒粉の摂取が多いと空腹時インスリン濃度が低く抑えられることが、インスリン濃度を上げる対立遺伝子の関係で示唆された。

(結論)
私たちの調査結果は全粒粉食品の摂取と空腹時グルコースとインスリンとに関連があることを示し、GCKR遺伝子と全粒粉食品の摂取が空腹時インスリン濃度と潜在的な相互作用があることを示した。
(報告者:桂川直樹)

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〔知っておきたい用語〕

1)国際人類遺伝学会(ICHG)International Congress of Human Genetics:5年に1回開催されている国際会議。1996年に世界の主要な7つの人類遺伝学会によって設けられた会議体IFHGS(International federation of Human Genetics Societies)によって運営されている。 http://www.ichg2011.org/

2)アメリカ人類遺伝学会(ASHG)The American Society of Human Genetics: 1948年に設立された人類遺伝学の学会で、現在約8,000人の研究者、学者、医療従事者などが所属する。 http://www.ashg.org/

3)ムーアの法則:米インテル社の共同創業者であるゴードン・ムーア氏が示したコンピューター業界、半導体業界における進歩の将来予測。この業界は進歩が目覚ましく「2年でおおよそ2倍」となるという経験則に基づいた法則。「4年で1000倍」の遺伝子検査の進展がいかに早いかがわかる。

4)SNP(一塩基多型)Single Nucleotide Polymorphism:ある生物種集団のゲノム塩基配列中に一塩基が変異した多様性が見られ、その変異が集団内で1%以上の頻度で見られるときのことを言う。つまり「個性」と表現できる違い。なお、1%未満の頻度の変異は突然変異と呼ばれる。ヒトゲノムの30億塩基対のうち、やく3百万程度(すなわち1,000カ所に1カ所)のSNPがある。

5)引用:Eric D. Green, et al., “Charting a course for genomic medicine from base pairs to bedside, Nature, 2011

6)エピジェネティクス Epigenetics:DNAメチル化やヒストン修飾など、クロマチンへの後天的な修飾により遺伝子の発現が制御されること。つまり、どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っているのに、別々の細胞になれるのは、使われる遺伝子と使われない遺伝子があるからと考えられている。これらを制御する研究分野として遺伝学、分子生物学の双方でエピジェネティクスが注目されている。

7)「遺伝的要因は環境要因に比べて小さい」:特殊な遺伝病を除いて、一般的に遺伝的要因による発病が2割〜3割と考えられている。まだこれについての定説はない。

8)「各国が競って大規模なゲノム・コホート研究を行い始めている」:2006年〜2010年にイギリスのBIOBANK UKプロジェクトでは50万人の被験者を集めた。その他にも、スウェーデンで50万人、EUで52万人、韓国で30万人、アメリカで11万人の規模の調査が実施されています。(参照:日本経済新聞2011年10月7日夕刊1面)

9)ニュートリゲノミクス Nutrigenomics: ニュートリゲノミクスとはニュートリション(栄養)とゲノミクス(遺伝子の網羅的解析) からなる造語。栄養素・食品を摂取した時に起こる生体内の変動を、遺伝子から発現されるmRNAを網羅的に調べること(トランスクリプトーム)で明らかにするものであったが、現在では、mRNA レベルの解析に加えて蛋白質(プロテオーム)、代謝物(メタボローム)などの解析への様々なポストゲノム技術の活用展開がされている。

10)全ゲノム関連解析(GWAS)Genome Wide Association Study : ゲノムワイドに疾患感受性遺伝子を探索する研究手法。いったん新しい疾患感受性遺伝子が特定されれば,研究者はその情報をもとにして病気の早期発見,治療および予防のためのよりよい戦略を開発することができる。

11)GCKR遺伝子 : この遺伝子は、肝臓と膵島細胞の中で酵素と非共有結合で結びついて不活性複合体を形成することにより、グルコキナーゼを阻害する調節タンパク質を産生する。そのため、この遺伝子は、若年発症型成人型糖尿病(MODY)の1つの型の感受性遺伝子候補と考えられている。日本人を対象にした研究でもGCKR遺伝子の変異と2型糖尿病との関連が示唆されている。Nobuya Inagaki, et al.,GCKR mutations in Japanese families with clustered type 2 diabetes, Molecular genetics and metabolism, 2011